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交流を通じて、アジアのひとびとに寄り添い、そしてつながる①

ソーシャル・アクションを自らの使命にして


□考察


 少子化が進む日本にあって、若い人たちを日本に受け入れることは大きな魅力である。 平成20年にまとめられ、向こう10年余で、全学生の1割は留学生にしたいとする、いわゆる 「留学生30万人計画」は、その受け皿となる教育機関にあっては、自らの起死回生にもつながるものとして大いに歓迎された。 その取り組みが進み、制度的にも保障された部分も多いが、いまだ不十分である。

 


 たとえば留学試験の拡充・改善など「入口」の改善はされたものの、 受け入れ環境(宿舎と奨学金)や卒業後の社会の受け入れにおいて、その進捗状況には暗澹たるものがある。 宿舎の確保はできず、その大半を民間まかせだし、奨学金にあっては、 単年度が原則の学習奨励費対象者を入れても2万人程度に過ぎない。問題はこれら教育機関で受け入れたとしても、卒業後はどうか、 である。 現状でも約6割の希望がありながらも、就職は3割(1万人弱)と言われている。 日本に何とかやってきたものの、劣悪な勉学条件のもとで(暮らしの糧を得るだけで精一杯) 初期の目的を果たしえないで帰国する学生や、地方の大学に入学したものの、 バイトがなく、都市部にやってきて出席日数が足りなくなっている学生は少なくない。 ましてや日々の不安や不安定さを取り除くような「地域社会」は存在していないのだ。 ひとたび、その不安が増すと、彼・彼女らはその地を去ることを決意する。 そんな中で、東日本大震災が起きた。


未曽有の被害を日本にもたらしたこと(もたらしていること)、 それらが連日、報道される日が続いたが、しばらくして障がい者や外国籍市民のことも報道され始めた。 とりわけ外国籍市民の場合、出国した者は少なくはない、と。 大学や専門学校、日本語学校などの教育機関、実習先、さらにはアルバイトで彼らを受け入れていた外食・コンビニなどにも影響を与え、苦しい人繰りが続いた等など。 地震を恐れ、原発の放射能を恐れて、出国の道を選んだのだ。 大学は新学期・新学年を遅らせたが、専門学校や日本語学校は、4月を迎えて新入生が来ないなど事態は深刻である(今も変わらない)。


東日本大震災は、新しい連帯意識をもたらしたと言われるが、いったいどれほどのものか。 震災後、「日本人は強い、がんばろう日本」を強調するのも結構だが、一人ひとりの人間として、お年寄りも子どもも、障がいのある方もない方も、男も女も、どこに住んでいようが、それだけでなく、外国籍市民の方もみんな同じ人間じゃないかということが共通確認できるような社会に、日本はいつ到達するのであろうか。 ひとたび異常な事態、場面に出くわすと、社会は一気にその本性を現わす。 外国籍市民の方々が日本を離れたように。


ソーシャル・インクルージョンとは理念である。 しかし、その理念を語るだけの、いわば評論の時代は終わったように思う。 いかに自分たちが何をするのかが問われているように私は考えている。 アジアンロードの実践は、ソーシャルインクルージョンを意識しての、個別対応ではない、一つの場づくりを通してのささやかな実践である。


連載「交流を通じて、アジアのひとびとに寄り添い、そしてつながる」