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交流を通じて、アジアのひとびとに寄り添い、そしてつながる①

ソーシャル・アクションを自らの使命にして

□海草スープをほおばっていたAさん

 

 本年3月下旬のある日、私の携帯がなった。画面表示から中国からだとわかる。
「先生(※1)、私、日本に戻らないことにしました。家族が『戻るな』というもので…」。
東日本大震災の直後、一時帰国していたAさんからの電話だった。
彼女は今年1月に日本語学校に入学したばかりで、その学校の紹介で、私たちが運営する留学生宿舎・東十条ハウスに入居していた。

 日本に戻らないということは、学校へ多額の入学料・授業料(通常は、100万円近く)を払っていたのに、それをキャンセルするということである。
入居の際に、彼女から来日の目的・目標などを聞いていて、彼女なりの思いを承知していた身としては、 これから日本の留学生活が始まるという時、さぞや悔しく、複雑な思いであったろうと想像する。

 こんなエピソードがあった。一時帰国する間際、台所で食事をしていた彼女から「先生、一緒に食べませんか」と誘われたことがある。 「ごはんはないんですけどね」と勧められたのは、ワカメがたっぷり入ったスープだった。 その時、「おいしいね!」と私は一気に食べてしまい、その後、帰りのあいさつをして、私はそこを退去したのだが、後日、はっとしたのである。 中国では放射能を除染する効果があると言われ、海草類が飛ぶように売れているというニュースにふれて、ようやく気がついたのである。
Aさんは、あの時、それを承知での行動だったのだ。きわめて軽く、明るく私に話しかけて食事に誘ってくれたのだが、心配だったのである。こちらはそんなこともつゆ知らずに……。


 私が理事長をつとめるアジアンロードは、NPO法人として、2000年に創立した。今年で11年目に入る。 海外支援団体的なNGO活動もおこなってはいるが、交流団体であることにこだわっている。
私自身、ソーシャルワーカーを自認しつつも、団体の結成当初から「支援・支援される」といった、 いわば「上下の関係」ではなく、交流という「横の関係」の中で、お互いが通じ合い、友だちになれればいいと考えているからだ。(「支援」は、その先に自然と生まれてくる) もっというと、「支援」ということで、
「ある種の偽善者意識」(※2)が生まれやすいのではないか、という危惧からでもあった。


 具体的には、アジアの人びとと等身大の交流を行なおうと、国内においては、お花見やバーベキュー、新年会などの各種イベントのほか、各国・各地の料理教室を開催し、 また、中国語(漢語)やハングル(朝鮮・韓国語)、モンゴル語、ベトナム語、タイ語などの語学講座を開講している。
国外においては、「夏の風」(※3)と称して草原でのスタディーツアーを実施し、 その際、草原の中にある小学校を訪れ、牧民の子どもたちへの具体的な支援として、奨学金を贈り続けている(今年度で、8年になる)。 最近では、東京都内に留学生支援のための寄宿舎を確保し、その運営をするようになった。
冒頭紹介したAさんは、この宿舎の住人になったばかりの方であった。
それまでおそらく見えなかったことが、生活の場を提供したことで、それがより見え始め、 そのために、私たちの交流のスタイル・アプローチもさらなる変更を余儀なくされているともいえる(この点にはついては後述)。


※1 留学生が、私のことを「先生」と呼ぶ場合がある。
教職の身であるとかないとかとは別に、中国語で「先生」は単なる敬称の「○○さん」という意味である。


※2 他者への支援の視点が広がることはいいことだが、結局、「やってあげている」「してあげている」という立ち位置を続けている限り、いかほどの支援になっているのか、 私は懐疑的なのである。当事者研究の「べてる」の実践が「非援助論」を主張していることに共感するものである。


※3 アジアンロードでは、「風シリーズ」として、春の風:中国・山東省の農村行き、夏の風:モンゴル行き、 秋の風:中国・大連行き、冬(新年)の風:を実施していたが、この2、3年は、「夏の風」だけになっている。


連載「交流を通じて、アジアのひとびとに寄り添い、そしてつながる」